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2014年2月17日(月)−3月1日(土)

森谷雅人 写真展『On the Right Bank inside/outside』

13:00-19:00 祝日開廊・日曜休廊

Inside : 2/17mon-2/22sat

Outside : 2/24mon-3/1sat

作家略歴



Inside

©masato moriya

展示作品: ゼラチンシルバープリント 大四つサイズ 約150枚

作家コメント:
写真家にはやらなければならない事があった。普通の住宅街を何日もかけて隈なく歩き、写真を撮る。それをプリントにしてうず高く積み上げて行く。やがてそれらはルールに従って分類されるが、その分類のルールに美学的あるいは情緒的な配慮は一切ない。写真自体の正確さ、対象との距離、画面を構成する物の要素などを頼りに事務的に選り分けていく。精度を上げるためにその作業を何度か繰り返し、出来上がったグループには分類のルールに沿った表題がつけられ、住宅街の「資料」として提示される。そして、それは記録的価値を持つものとして、必要なときが来るまで保管されるが、この事務的な一連の作業に写真家の密やかなテーゼが内包されている。この「資料」は、写真の展示的価値という文脈においては、その退屈とも思える平均化された画面と客観性を、有用で喜ばしいものとし、それを見る者に特定の意味で受け止められる事を求める「作品」として改めて提示される。そのテーゼにしがみつくしかない写真家は保管されていた「資料」を持ち出し、「資料」のまま展示する。それをやり遂げたとき、その日の仕事を問題なく終え、煙草を深く吸い込んだ官史のように、陶然たる溜息をつく。


Outside

©masato moriya

展示作品: ゼラチンシルバープリント 額装大全サイズ 約30枚

作家コメント:
街で生活するものが堤防を越え、河原に出たときに開放感の様なものを抱く理由の第一は、視界が開けている事であろう。建物はほとんどなく、草木も低い。いつも建物に囲まれて、先も見えない様な雑然とした風景の中で生活していれば当たり前である。また別の理由として、堤防が守っているのは堤内の人命、財産であることを考えると、堤外は管理外であり、自然をコントロールすることを放棄された場所でもある。それは逆説的には自由区とも言える非日常的な空間のように感ずるからではないだろうか。
街で生活することは、全てにおいても何ものかに管理されることである。一方、河原を利用している人は、街ではそう簡単にはできない様なことを楽しんでいるように見える。ジョギング、ゴルフ、野球などのスポーツ、釣りや、ラジコンなども普段、街中でできるものではない。夏ともなれば半裸で日光浴をする人もいるし、バーベキューや花火もできる。犬だってリードを外してもらえたりするのだ。厳密には禁止事項も含まれているが、粗大ゴミを捨てても、勝手に家を建てたって、概ね寛容である。
主導権は常に河原側にあるので、ここで、街と同じ振る舞いをしようとすると違和感が生じる。例えば、普段、街の写真を撮っている写真家など河原に置かれたら迷子も同然だ。とりあえず河口から上流に向かって歩いてはみるが、200mごとにシャッターを切るみたいなことしかできない。遠くに人工物が見えただけで懐かしくなる。橋や水門にたどり着いたら大騒ぎだ。

自由区と思われた空間でのこの不自由さは、管理された街の中を、カメラを持って歩きまわり、他人の家を撮ることが写真家にとって日常的な行為であることを確認する。主導権は街にあり、写真家は街によって開放され、街に管理されることを好むのだ。



 

作家略歴

  1960年 神奈川県出身
    2011年 個展「約束の地」
KAWASAKI DEEP SOUTH 2010-2011 新宿ニコンサロン
    2012年 個展「川崎ハード」 GALLERYmestalla